面倒な彼と、牛と仏と農業と/韓国映画『牛と一緒に七泊八日』

ライターズコラム

『リトル・フォレスト』と同じ設定なのに、作風がまったく異なる映画

前回で取り上げた、日本のマンガが原作の『リトル・フォレスト 春夏秋冬』(2018年)の監督イム・スルレの作品『牛と一緒に七泊八日』(2010年)を紹介します。

『リトル・フォレスト』は、「食」を媒介として、母から娘へと女系で受けつがれる「農」がテーマでした。一方、『牛と一緒に七泊八日』は、農家に生まれた男性が主人公です。

2つの作品とも、主人公が農家に生まれ育ち、一度は都会に出て違う道を目指し、再び故郷に帰ってくるという設定が共通しています。にもかかわらず、まったく違う作風の作品に仕上がっている。

おいしそうな料理を軸として、食の恵みをもたらす「農業」に支えられた女たちの日常が、やわらかなパステル調で詩情豊かに描かれていた『リトル・フォレスト』。

それに対して『牛と一緒に七泊八日』が描く農村は、山の斜面に広がる、石ころだらけの田畑に象徴されるように、抑えられた色調で寒々しさを感じさせる。

主人公も、垢抜けないながらも可愛らしい『リトル・フォレスト』のヒロイン(キム・テリ)と対照的に、成熟しないままいたずらに年齢を重ね、見た目も冴えず、それでいて自意識だけ高い、ある種の典型的な「面倒くさいおっさん」。

しかし決して辛気くさい映画ではありません。理想と現実のギャップを認めたくない人間を、コミカルかつ暖かい眼差しで描いていて、自分のなかにわだかまる劣等感との戦いを日々強いられている(私を含めた)人々の共感を呼ぶ作品だと思われます。

「牛以下」と罵られる、うだつの上がらない主人公

主人公は、韓国北部の江原道の農村でくすぶっているチェ・ソノくん。40歳を目前に控えてもうだつが上がらず、農作業を手伝えば失敗ばかりで、がんこ者の父ちゃんから「おまえは牛以下だ。使えねえ!」と罵声をあびせられる日々。

無理もありません。このソノくん、大学で文学を学び、詩人を目指したものの、挫折して酒に溺れている、昔ふうにいえば、穀潰し。なにせ地元のアマチュア詩人同好会が主宰するレベルの賞ですら、いくど応募しても落選続き。

そんなていたらくですから、お嫁さんが来るはずもない。詩の同好会で女性会員との交流もなくはないけれど、彼女らが狙っているのは金まわりのいいお医者さま等。無職同然のソノくんは、ハナも引っかけてもらえません。

見かねた母ちゃんが「あの牛を売ろうか」と提案。「売ってお金になれば、ベトナムからお嫁さんをもらえるよ」というわけです。しかし、トラクター代をけちって、いまだに牛を使って田を耕している父ちゃんは「あの牛は働き者だ。絶対に手放さないぞ!」。

ある日、またも父ちゃんと口論になったソノくん、ついに家出を決行します。自家用のトラックの荷台に牛を載せ、牛を売り買いする市場のある横城(フェンソン)へ。こうして、アラフォー・ニートと牛との、奇妙な「七泊八日の旅」が始まったのです。

ところでソノくん、牛を売り払って、そのお金で何をしたかったのか。
彼にとって牛とは、幼いころ父に命じられるまま、飼い葉を与えたり、糞尿の始末をしたり、辛い思い出しかありません。その辛さから逃れるため都会の大学に進んだのに、結局また、牛糞の始末をさせられている。

牛は、彼にとって、自分を縛りつけているくびきのシンボル。どんな形であれ、牛と決別することで「ここではない、どこか」に行けるのではと衝動にかられての家出なのです。

ところが、長時間荷台に揺られているうちに、牛がコンディションを崩し、鼻血を出しはじめました。慌てたソノくん、父ちゃんに電話して「牛が具合悪そう、どうしよう」と教えを請う始末。通りかかった村の獣医さんに診察してもらい、その孫娘から「ハンスくん」と名付けられたりするうちに、いつの間にか情が湧いてくる。

モチーフとなっている仏画『十牛図』

ソノくんにも、輝かしい青春時代はありました。同じ目的をもった仲間と文学を目指していた20代。その頃ソノくんは、ヒョンスという女性と、ミンギュという青年とつるんでいました。3人で旅をして将来の夢を語り合ったりしていたのです。

しかし、男2人と女1人の友情関係は不安定なもの。ある事をきっかけに、ソノくんは彼らと離れることに。その後、ヒョンスとミンギュは結婚。裏切られたと感じたソノくんは、心の傷が癒えることのないまま自堕落な生活を送ってきたわけです。

そのヒョンスが、牛と一緒に逃避行中のソノくんに「ミンギュが亡くなったの」と連絡してきました。葬儀場に駆けつけたソノくんに、「彼のことを忘れたいから」と関係を迫るヒョンス。断り切れず一夜を過ごしてしまい、さすがに亡くなった親友に申し訳ないと、彼女を置き去りにして逃げるソノくんですが、ヒョンスはそんな彼を執拗に追い掛ける。

そんなこんなで、いつしかソノくんは、押しかけ彼女のヒョンスと牡牛のハンス、♂2+♀1で旅を続けることに。そう、かつてミンギュがいたポジションに、牛のハンスが入ってきたかたち。

ヒョンスを演じるコン・ヒョジンは、韓流ドラマファンには『パスタ』『大丈夫、愛だ』などの都会派ラブコメでおなじみの女優さん。173センチの長身を活かした、ファッションリーダー的な存在ですが、映画では庶民や汚れ役もこなす演技派としても知られる存在。この作品でも、ひとつ間違えば、神経を病んだストーカーにもなりかねない難役をひょうひょうと演じています。

一方、主役のソノくんを演じるキム・ヨンピルは、舞台を中心に活躍する実力派で、この映画で37歳にして初主演。大ヒットしたドラマ『愛の不時着』では北朝鮮のキム大佐を演じていて、ご存知の方もいらっしゃるでしょう。いじいじと情けないキャラクターですが、実力に裏打ちされた嫌みのない演技のおかげで、観る側に苛立ちを感じさせません。

芸達者同士の、わざとらしさ皆無な演技のキャッチボールを見ているだけで飽きさせない本作ですが、牡牛のハンスも、主役2人と絶妙なトライアングルを作り、みごとな存在感を見せています。
鈍重そうでいて、どこか暖かい眼差しで、人間たちの愚行を見つめているハンス。その風情から連想させられるのは、仏教の『十牛図』です。

『十牛図』とは、中国宋代の廓庵禅師(11~12世紀頃。伝不詳)が作成したとされる禅の入門書です。牛飼いが逃げ出した牛を追う姿を、「尋牛(探す)」「見跡(足跡を発見)」「見牛(牛を発見)」「得牛(牛を捕獲)」「牧牛(飼い慣らす)」「騎牛帰家(牛に乗って帰宅)」「忘牛存人(牛のことを忘れる)」「人牛倶忘(自分のことも忘れる)」「返本還源(元通りとなる)」「入鄽垂手(町に出て生活する)」と、10段階のプロセスで示した絵物語です。

『十牛図』で描かれた牛とは、自分自身の象徴です。
自分は何者なのか、どこから来てどこへ行く存在なのか、それを探求することで自己を見つめ、本来の自分を得ることができた後は、探求そのものを捨て、自然体で生きられるようになり、人々の手本となる……。そんな仏教修行の理想の姿を、わかりやすく絵解きしたのが『十牛図』というわけです。

この映画は、寺院や僧侶が重要な役割を果たしています。
『新世紀エヴァンゲリオン』の最終回よろしく、登場人物が全員集合して少年僧の説教を聞く場面があったりする。ソノくんが内面に抱え込んだ不満が、恐ろしい行為として爆発する過激な場面もあれば、かつて不義理をした人々に報復される場面も。
いずれもお寺を舞台としたソノくんの妄想です。この映画全体が、迷える衆生である彼が悟りを開くまでを描いた宗教的な絵物語なのかも知れません。

自分を見つめる媒介としての「異性」と「牛」

『リトル・フォレスト』のヒロインにとって「農」とは、本来の自分がいるべき、肩肘をはらずに戻っていける場所でした。ヘウォンが都会に対して抱いた違和感や居心地の悪さは、コンビニ弁当を食べることができないという「体感」です。「体感」からくる違和感は、「食べる楽しみ」「育てる喜び」で癒せる。

ソノくんはそうではない。彼の焦燥感は、本来こうだったはず(と思いこみたい)自分(詩人)と、現実の自分(もはや若くない無職)との落差から来ている、心理的なもの。

この違いを、「男は論理的で、女は感覚的」といった通俗的な言説で解釈すべきではないでしょう。
『リトル・フォレスト』のヘウォンは、子供のころ学校で仲間外れにされた時、母親から「気にしなければいい。それであなたの勝ちよ」と教えられました。だから、他人と自分を比べる慣習が、彼女にはない。

一方ソノくんは、おそらく、お父ちゃんから常に、自分の価値についてガミガミ叱られて育ったに違いありません(「牛以下だ!」とか)。それがソノくんに自意識という病を植え付け、果てることのない承認欲求に苛まれ、逃避を繰り返したさせてきたのではないか。

そんなソノくんが本来の自分を取り戻すためには、まず「情けない状況にある自分」を見つめ、その「情けない状況」を招いたのは、他ならぬ自分だと自覚すべきでしょう。しかし、これほど辛い作業はありません。誰だって、自分というものにプライドを持つことで、自我を保っているのですから。

例えば、ヒョンス。ソノくんは何度も彼女を置き去りにしようとします。しかし彼女は諦めず、追いかけてくる。彼女は、ソノくんが自分の生活から消し去ろうとして消し去れず、向き合うしかない「過去の自分」そのものなのです。

ところで仏教には、こんな説話もあります。
富裕な家に生まれながら、悟りを求めて放浪する善財童子が、婆須蜜多(ヴァスミトラー)という美女に出会い、「私にキスし、私の身体に触れなさい。それで、あなたは悟りを開けるはず」と教え諭されるという物語(華厳経)。
男女との接触を厳しく禁じ、ミソジニー(女性嫌い)とさえ評されることもある原始仏教において、異性とのスキンシップを称賛した、例外的な説話として有名です。

悩める男性を悟りに導くとされる牛と女性。ともに旅することで、ソノくんは果たして、自分の居場所を見つけることができるかどうか。ぜひ『リトル・フォレスト』とあわせてごらんになってください。(参考文献/玄侑宗久監修・解説+水野聡・訳『現代語訳 十牛図』PHP研究所)

福岡貴善

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最近、長野県松本市に引っ越してきたフリーランス・ライターです。20年以上の出版社勤務経験を活かし、大好きな映画、小説、音楽など様々なテーマに絡めて「農」を考...

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