日本のお米を世界に…八重原米研究会 笹平達也代表インタビュー

Humans of 農業

八重原米研究会とは、長野県東御市にある八重原地区でお米を栽培している農家三人で成り立つグループです。
研究会メンバーは上八重原地区の白倉卓馬さん、中八重原地区の柳澤謙太郎さん、そして研究会会長である下八重原地区の笹平達也さんの三人です。
それぞれ農業とは別の職業に就いていましたが農業に魅力を感じ就農、現在に至ります。
人手不足が叫ばれる農業ではありますが、八重原米研究会としてお米の輸出やGAPの取得など、生産だけではないところにも力を入れ周囲に影響を与え続けている、そんな八重原米研究会の笹平さんに今回インタビューさせていただきました。

八重原米の特徴や魅力

ーー八重原米とは、お米業界ではブランドとしてあるものですか?

昔からこの地域のお米は、粘りもあって食味も良いと言われてきていますが、生産量がそんなにないので、知名度はそこまでないですね。
最近は世代交代して、私たちの世代がインターネットを活用したり、都内に営業したりして、輪を広げて遠方まで販売するようになりましたので、少しずつ名前を知っていただけるようになってきたかなと思います。
ただ量が少ないので、ブランドとしてというよりそれぞれがこだわった作り方をして、今までの評判にあぐらをかかないように、いろいろ試行錯誤しているところですね。

ーーなぜ八重原米は粘りがあって食味が良いと言われているのですか?

ここ(八重原地区)は標高が700m近くあります。
ここまで登ってくると大地は平らなんですね。そして川は下に流れているんです。いわゆるテーブルマウンテンの形になっていて、これは日本でも珍しい地形です。
周りに山を背負っておりませんので、景色は360度開けていて、日光が一日中当たります。天気が良いと富士山も見えます。
日光がたくさん当たることによって、お米の美味しいでんぷんが作られて、そして夜になると夜温がうんと下がるんですよね。
この温度差が高ければ高いほど、お米というのは昼間に作ったでんぷんを夜に蓄えることができて、その蓄えたでんぷんがお米のうまみに繋がります。

三人の出会い

八重原米研究会メンバー(左から柳澤謙太郎さん、代表の笹平達也さん、白倉卓馬さん)

農業を始めた時期がそれぞれ少しずつずれていますが、たまたま東京で商談会があり、そこで三人とも別々のブースで八重原米として出していました。
そこでバイヤーさんたちに、「あっちのお米とお前と何が違うんだ」と三人とも言われて、それぞれ「うちは堆肥を使って、これこれこういうことをやって作っているんですよ」とアピールするわけですが、言っていることは結局三人とも一緒で。なのでその商談会が終わった後に、「次の商談会に来るときは、三人で一緒にやらないか」と声をかけました。それが八重原米研究会として活動するきっかけになりました。

ーーそれまではお互いのことをよく知っていたわけではないのですか?
まあ、隣の白倉さん家の息子が農業始めたよ、とか柳沢さん家の息子であれば農業の集まりや地区の集まりのときに顔を合わせるのでちょっとお話するとか、その程度でしたね。

ーー最初はライバルみたいな感じでしたか?

そうですね、お互い知らなければ知らないほど、相手がやっていることが気になったり、何か良いことをやっているように見えましたね。笑

三人で集まるようになってからの感想

ーー三人で集まるようになって、どんなところが一人でやるよりも良いと感じましたか?

三人でやると商談会での役割分担などができますし、一人では知り得ない、米の栽培方法の情報交換や相談ができます。
例えば、「これこれこうなんだけど、草が生えてしまって困っているんだよね」と話すと、「こういう薬使った方がいいよ」とか「うちはこういうの使っているよ」など、情報交換ができるんです。

米の輸出について

八重原米研究会はお米を海外に輸出している団体として、各地で注目を集めています。なぜ輸出を試みたのか、その理由について笹平さんにお聞きしてみました。

ーーお米の輸出をしようと思ったきっかけはなんですか?

日本国内では人口が減ってきているなどの関係から米の消費量が減ってきて、減反政策という形で、生産者が作っているお米の4割を生産調整する政策が施行されました。
今では政策は義務化されているわけではないですが、私たちみたいに大きくやっている農家は責任がありますので、率先して生産調整をして、価格の安定に努めていかなければいけないと思っています。これ(お米の生産)で生活していますので、義務ではないからといってどんどん作れば良いのではなく、その4割をどうするべきか、考える必要があります。例えば長野県松本市ですと、その4割の圃場で麦や大豆を作って生産調整をしています。ですが、ここ八重原の土は粘土質でとても水はけが悪く、根が腐ったり雨が降って水が溜まってしまったりするので、いい大豆や麦が作りづらいんですよね。

国内で消費されないお米に関しては生産調整としてカウントされます。
方法としては、加工米・飼料米・輸出米の大きく分けて3つがあります。せっかく同じように作ったお米を飼料にされてしまうのも悲しいですし、粉々にされてお菓子にされてしまうのも少し悲しい。やはり「お米」として美味しく食べてもらいたいという思いがありましたので、じゃあ輸出米をしようということになりました。
東京のフーデックスジャパン(第46回国際食品・飲料展)に三人で出展していたので、そこで海外のお客様と商談して勉強はしてきましたが、たまたま柳沢が以前勤めていた会社が輸出事業を始めたので話を通していただき、この八重原米の輸出をスタートしました。それが平成22年の話です。

そうして八重原研究会として平成22年産のお米を6.5トン、ロンドンとパリに輸出したそうです。その翌年はオーストラリアとシンガポールに、平成23年産のお米10トンを輸出しました。その後徐々に輸出量を増やしていき、シンガポールでは現地のスーパーで販促活動をする機会を得たそうです。

シンガポールでの販促活動〜会社設立に至るまで

シンガポールでの販促活動 他の生産者と一緒に

シンガポールに販促に行った際に、向こうのお店で5キロの白米を400袋用意していただいて、それが三日間で全部売れてしまったんです。
当時は現地に生産者が売りにいくのが珍しく、反響が良かったんですよね。
当時16トンしか輸出していなくて、その約8分の1が3日で売り切れてしまいました。

ーーすごいですね。
そういうイベントだからというのもあります。課題としては、年間を通して僕らのお米を売ることをイメージできていなかった。僕らのお米が2ヶ月、3ヶ月すると無くなってしまって、お客様がまた買いたい時に手に入れることができなくて次に買えるのが来年になってしまうことでした。

シンガポールから帰ってきて早速三人で話し合って、僕らのお米の輸出量を増やすにしろ、もっと年間を通して売れるような量にしていかなければならないと考え、組織として長野県中の生産者に声をかけて仲間を集め、「長野米」というもう一つの商品を作って世界に売っていくことになりました。
その年の6月には会社を設立して、その年の秋には仲間のお米も含めて65トンを出すことになりました。
そうしてシンガポールの伊勢丹の売り場では、僕らのお米を年間通じて販売することが可能になりました。
その時参加してくれた生産者は16名で、今では32名ほどになり、お米の輸出量も昨年には300トンになりました。

ーー300トンって想像つかないですね。
他の地域だと最近高温の影響でお米が白くなったり、虫がつきやすくなったりと品質が落ちてくるのですが、長野県は標高が高く、品質が保たれているということで最近評価され、現在ではお米が品薄の状態になってきています。

ーーその時に長野県として会社を設立したのはとても良いご判断ですね。
そうですね。
参加してくれるみなさんにとっても、日本国内の競争ですとあまり先行きが見えない中で、海外に打って出ていくのはとても希望があることだと思っています。
現在輸出米は日本国内での価格より若干安いですが、それでも長い目でみると採算の取れない価格ではないので、これから10年・20年と農業をやっていく中では、それぞれの農場運営の中で、輸出米という販売チャネルを持ってもらいたいなと思っています。

ーー長い目でみた時の販路の拡大が、今の目標になりますか?
そうですね、先行者優位というものがありますので、海外に行っても高い値段で買ってくれるお客様は少ない。早くから活動してそういった層に名前を売って押さえていくのは有効かと思っています。

物流が発達してきて、私たちの販売先であるシンガポールの伊勢丹でも30種類くらいの産地・銘柄が並んでいて、日本のスーパーより数が多い状況になっています。
なので日本で行われている産地間競争が、海外のスーパーでも行われているような状況で、僕らがいなくなると他の産地のお米がすぐに並んでしまうような状態なんです。だからそこの席をできるだけキープしておかないといけないし、これからのことを考えて伊勢丹のお客だけではなく、他の層に業務用などで使用していただけるように営業をかけているところです。

シンガポールの現地米卸会社にて

コロナの影響で今年はシンガポールに行けませんでしたが、昨年は現地に生産者を数名連れて行きました。
国内相場より若干安い価格で生産者のお米を買い上げて海外へ出しているので、現地を見ていただいてモチベーションを上げていただくためです。
人によっては国内で売った方が良いのではないかという人もいますが、やはり長い目でみて、今が踏ん張り時なんだよ、と実際に見て感じていただけるように、連れていきました。
海外に行くと私たちのお米はすごく高く評価されていますので、この流れを途絶えさせてはいけないなという思いもあります。
連れていく生産者の方々にとっても、普段観光では行けない現地のお米問屋の倉庫や精米施設、実際にお米を使用していただいている店舗を見たり、オーナーの話を聞いたりできるので、普通に遊びにいくのとは違う体験ができて、良かったと思います。

笹屋農園さんについて

ーー笹平さんは、どのような経緯で笹屋農園を始めましたか?
高校を卒業してから親戚のクレーン会社に3年ほど勤めた後、そこを辞めて21歳の時に就農しました。

ーーご家族でどなたか農業をされていたのですか?
父が兼業でやっていました。

ーーなぜ就農しようと思ったのですか?
本当は違う仕事も探しながら考えている時に父を手伝っていて、段々慣れてくると面白みが出てきまして、2年くらい経ってから本格的に農業をやろうと決めました。

ーーやってみて大変、というよりはやってみて楽しいと思う気持ちの方が強かったですか?
そうですね。
うちのような個人農家は会社の社長じゃないですけど、一人でできる部分が多くあります。
自分の判断でうまくいく時もあれば失敗する時もありますが、やった分だけ成果が出ますので、やっぱりやりがいがありますね。

ーー具体的にどんな時にやりがいを感じますか?
作ったお米をお客様に食べていただいて、「美味しかったよ」と言われる時が一番ですね。

ーー逆に、今でも大変に感じる時はどんな時ですか?
日常の作業自体が大変なのはみんな同じですが、今やっている農業を地域としてどうやって継続していくかが課題ですね。後継者なり資金的な問題なり、この先の農業がどういう方向に行くのか考えながらやっていかないといけないなと思います。
こういう時、八重原米研究会の仲間三人で色々話し合って決断して、チャレンジしていけるのは素晴らしいことだと思っています。

ーーひとりよりは三人いた方が良いってことですよね。
そうですね。
あと、三人で作った酒米でお酒を作ってもらっています。
これも輸出を始めたあたりから取り組んでいます。とても美味しいので飲んでみてください!
今は5件くらいの酒蔵に出しています。色々な酒蔵でPOPなどを使って宣伝していただいていますが、ここの蔵(写真のお酒の蔵)は、このお酒を販売している酒屋さんのグループがあり、その酒屋さんの1名が絵を書いてくれて、毎年ラベルを貼っていただいています。
その年のお米・農作業のストーリーを、例えば今年は雨が多くて仕事が大変でした、でも美味しいお米ができました、というような話を載せていただいています。

ーーこういうお酒を作る取り組みなども三人でお考えになっているんですか?

そうですね、三人で集まってお酒を飲んでいる時に、
「いつか自分たちで作ったお米でお酒ができて、それを三人で飲めたらいいな」と話をしたり、
「海外の人にも僕らのお米を食べてもらいたいよね」という話から輸出が始まったり、
「これからどうやってお米を売っていったら良いのかな」「安心してもらえるお米じゃなきゃダメだよ」「じゃあGAPとか原産地管理呼称制度などの認証をやろう」という話など、
結果にすぐ繋がるかはわからないですけど、その時点でできることを精一杯やってきました。

ーーそういった気持ちはなぜ湧いてくるのでしょうか?
元々ライバルだった三人が仲間になったので、とても心強いですね。
こういった思いを次の世代にも継いで行きたいと思いますね。

お米業界の牽引役、笹屋農園としての今後

輸出にチャレンジする環境がまだまだ日本国内では整っていないと笹平さんは語ります。そんな中、長野県のお米の輸出を拡大してきた牽引役として、今後について語っていただきました。

ーー牽引役または笹屋農園としてこんなことをしていきたい、というような展望はありますか?
輸出米に関しては、日本の美味しいお米といえば「長野米」と言ってもらえるよう、さらに量を増やしていきたいです。
また、現在気候変動や人口増加による世界的な食糧不足になってきている中で、日本の農産物輸出が、さらに重要になると感じています。そういった意味でも、牽引役として輸出に力を入れていきたいです。

そして、笹屋農園をしっかり継続していくことも必要になってきます。笹屋農園という名前を残すのではなく、今この笹屋農園がある下八重原地区で、米農家として携わる役目が重要になってくるのかと思っています。
現在、近所の人の籾摺り(もみすり)などを代行したりしています。
あと、もうお米が作れなくなった方の田んぼを私たちが借りて作ったりと、この地区の農地を荒らさないように守っていく中心的な役割を果たしていきたいと思っています。
この農場自体も、私の家族が継がなくても誰か優秀なスタッフがいればそういう人たちが継いでいけば良いわけですし、農業をずっと継続していけるように農地を守っていけるような仕組みを作ることが目標です。

ーー担い手農家としてやっていく、ということですか?

そうですね、ただ個人の農場じゃなくて、地域と一緒に歩んでいけるような組織を作りたいですね。
(八重原米研究会の)三人それぞれ思いはありますけど、ゆくゆくは三人の農場が一つになってしまうこともありえますし、どういった形であれ、地域を守っていくことには変わりないと思っています。そしてゆくゆくは、自分たちの熱い想いを次の世代に継いでいってもらいたいです。

ーー最後に、笹平さんが思う八重原米の良さとは?
作り手が良いのではないですか。笑
自分の作っているものを胸を張って売る気持ちも持っていますし、それを裏付けすることも自分たちなりにはやっているつもりですので。ただ八重原だから美味しいんだよ、というのではなくて、産地云々ではなく自信をもって紹介できるお米が、今の八重原米ですね。

編集後記

お米の輸出や地域の農業の下支えなどといった日本の農業の今後を見据えた活動や、GAP認証などを取り入れた生産体制の改善に注力している八重原米研究会。
「結果にすぐ繋がるかはわからないですけど、その時点でできることを精一杯やってきました。」という笹平さんの言葉が心に刺さりました。
今まで先陣を切って、新しいものを取り入れていくのは決して簡単なことではなかったと思います。
それでも試行錯誤して今まで続けてきたその姿勢は、たとえどんな職業であっても見習いたい、そう感じたインタビューでした。

Yui Takato

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ツチカウ編集部のYuiです。よろしくお願いします!

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