農業人として生きること part.3

Humans of 農業

退職してから農業を本格的にやるようになって、価値観は徐々に徐々に変わっていった。
急に変わったというか、やっているうちに人間って順応していっちゃうから、徐々に変わってきたような気はするね。
ただ、昔こういう考えだったら、勤めている時ももうちょっとできたかなあという後悔はあるけど。

農業をやって視野は広くなったと思う。
だって結局ね、農業のことを考えてればいいわけでしょ笑
そうすると自由時間ができるわけだ。
自分の自由時間の中で環境のことを考えたり、世界の経済のこと考えたり、日本の政治のこと考えたり、本読んだり。
そうすることで自由な発想ができるようになったというか、
やっぱり自然と親しくなったおかげでそういう気持ちになってきたのかもしれない。

自分ってなんだろうってよく若い頃は考えたよね。
だけど今になってよくよく考えたら、
「なんだ、自分は自然に生かされてるんだ、自然の一部なんだ」
というような気持ちになったりとか。
水を見たり作物を見たりしてもそう感じるんだよね。
だけど勤めている時は仕事一本だったから。
庭の草なんか全然気にもせず。

社会とか地域の問題について考えたりとかするようになって、
例えば、お金って何なんだって考えたら、
お金って、単なる一つの価値でしかないなと思うようなところあるじゃないですか。
それがね、例えば日本で売れば白菜一個百円だとしたら
それが、国外へいけばさ、その3倍でも5倍でも売れるとかさ、
そういう、経済ってなんなんだって思うところがあるわけ。
だって白菜は白菜なのに。

物の価値っていうのにも目がいくようになったね。自分で何かを作るようになってから。
勤めている時はね、上の人から言われたの。
原材料費の計算をする時に、真の価値を見極めろって言われるの。
でも見つけていたつもりだったけど、今思うと違うよなあって思うの。
だって昔は銅線の値段を決めるのにこういう計算をしたんですよ。
まず仕入れる時にいくらで買うのか、と。
だけど銅の埋蔵量はこれだけあるから、それがどれだけ使われているのかを考えて、それで不純物がこれぐらい入っていれば、このぐらいは差っ引いてもいいだろうと。そうすると銅線はこのぐらいの値段だと。それで加工したとしてもこれくらいの工数でできるはずだから、その計算から導き出される値段が真の価値、値段なんだ、なんてことをやっていたわけですよ。上から言われていたからね。

でもそこが違うなと思った。

やっぱり人間っていうのはもっと自由でいいなと。
自由で自発的に、自分がそれをやりたいと思ったらやればいいんじゃないかと。自分で値段を決めてもいいんだ、自分はこれぐらい頑張ったからこれぐらいの値段が妥当だと自分で決めていいんじゃないかと思うようになったよね。
要するにね、組織の中にいるとそれが見えないんだよね。
上はさ、洗脳するのが上手だから笑
下手に自分はコントロールされないと思っててもされちゃうんだよね。
昔勤めていた会社に専務っていうのがいて、これがね鬼軍曹って言われていて、いろんなことを知っているのね。
こっちがぐうの音が出ないくらいのところまでコントロールしちゃうんだよね、すごい人だった。
だからノイローゼ気味になった時もあったよ。

それに比べて今は心が自由になった。

その方がいい、本来は自由であるべきだよ、若い人は。

【編集後記】
今回取材をさせていただいて、このpart.3の価値観のお話はとても印象に残りました。
特に、最後の「若い人は本来自由であるべきだ」という言葉は私にとても刺さりました。
以前、ポーランド人の友達に “カローシ(過労死)”が本当に存在することをとても驚かれたことがあります。その時私は、何となく恥ずかしいような、もどかしいような気持ちになったのを今でも覚えています。
しかしどの国で働くか、というよりもどんな場所で自分が満足できる仕事をできるか、が大事だと今回実感しました。
日本にだって山本さんのような、自分の考えを持っていて幸せに仕事をしている方はいます。
自分の時間を作れるというのはとても大切なことかもしれない、その手段として農業を選択するのもいいな、そのように感じた取材でした。

Yui Takato

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